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言葉……。



親しいお客様から、ある人の不用意な言葉によってひどく辛い気持ちになったという話を聞きました。


聞けば、うーん、確かにそれはどうかと思うな、って感じた。


もちろんそこには、いわゆる悪意のようなものは無くって、でも言ったあなたが考えているよりもずっとずっと重く深い傷がこちらにはあって。
そしてそれは、あなたが考えているような簡単なことじゃなく、もっとずっと困難で、やっかいで、デリケートなことで。

経験していないあなたの無責任な尺度と、経験した私の知っている事実との間には、とんでもなくかけ離れた誤差があって。
 その誤差は、「その壁を乗り越える難度の大きさ」や、「その壁を乗り越えるために費やすエネルギーの大きさ」や、「その壁を前に立ちすくんだ期間に家族や友人や仕事関係の人間などに与えてしまった負担の大きさ、と、そういった自責の意識による痛みの大きさ」 などすべてにおいてです。


それでも、その壁を乗り越え切った人に対してならまだ取り返しがつくかも知れない。
けれどその人はひょっとすると、今まさにその壁を前に立ちすくんでいる人かも知れない。


そんな誤差の可能性を微塵も考慮せず発せられた言葉は、やはり浅はかと言わざるを得ません。


言葉は、時にはオアシスやストーブのように僕を潤してくれたり暖めてくれたり。
けれど、時にはぬかるみや刃物のように僕の心を重く沈ませたりえぐったり。



きっとすべての人が、知らないうちに誰かを傷つけたり叩いたりしている。

けれどまたきっと、知らないうちに誰かを元気づけたり救ったりもしている。


僕はやっぱり、言葉のチカラを信じているし、言葉が大好きです。


だからこそ、そういった話を聞くと残念で、腹が立つ。


そこに、「こいつを攻撃しよう」という、明確な悪意がないだけに厄介で、深刻です。



デリカシーと、自分の「至らなさ」の自覚。

言葉を使用する際の大切なポイントがこの辺りにあるんじゃないか、ってずっと思っていて。


そう、言葉を使うって、結構大変で面倒くさい。


けれど、だからといって「もうなんにも言わへんっ!」ってのはダメ。ってゆうか無理。
結局、想いを伝えるのは言葉しかないから(言語、文語、手話を問わず)。




僕はこう思っています。


想いや痛みは、結局どこまで行ったって本人しかわからないものです。
そういった意味では人はみんな1人です。1人で生きてゆく。たった1人で生き抜く。

けれど人はまた、誰かと話さずにいられない。会ったり、電話したり、メールしたり、インターネット上で交信したり。

そういった意味では人は1人では生きてゆけない。


結局、どこまで行ったってあなたの想いや痛みをあなたと同じには解れないけれど、解ろうとすることはできる。

この、解ろうとする行為こそが絆じゃないのか。

僕は、目の前の人が僕の想いや痛みを解ろうが解るまいが、解ろうとしてくれているというだけで救われる。 口をついて出てきた言葉が、ありふれた、気の利かないものであったとしても、懸命に解ろうとしてくれたというその行為に満たされます。



他人(ひと)のよろこびと自分のよろこび、他人(ひと)の痛みと自分の痛み、それらが何度も何度も交差する時を重ね、人は自らを知ってゆく。



言葉は本来はいいものです。



風景 松田正弘
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