風景ブログ
風景マスターの日常をつぶやきます。
寄り添う
7月6日、82回目の誕生日を迎えたあたりから、母の老いの速度が上がり始めています。
母は、レビー小体病という病気です。
まあなんていうか広い意味での認知症の一種。
パーキンソンの症状が出て来ます。
筋肉がだんだんと弱って来て、脳からの指令どおり筋肉を操れなくなってくる。
歩いていて、突然ふにゃっとコケたり、 ふら~とよろけたり。
そして一番の懸念はトイレのことです。
尿や便を我慢するのも当然筋肉だから、これをコントロールしにくくなる。
1ヶ月くらい前から母は、初めてのおむつをし、もうそれ無しではきびしい状態になりました。
こうなって来ると悪循環です。 やっぱり常にトイレの不安があるから、ついつい外に出かけるのが消極的になる。 歩いたりすることが減るとますます筋肉は弱る。
気持ちも塞ぎがちになります。
今はまだ、自分で自分の「老い」を上手く受け入れられない、そんな感じです。
前にも書いたけれど、僕たちは、記憶のある頃が自分の始まりみたいに思ってしまいがちです。
けれど本当は、ゼロ歳や1歳や2歳の頃から僕たちの人生は存在している。
覚えていないだけで。
その、自力では何一つ出来ない頃から、どうにか自分でごはんを食べたりトイレへ行ったり出来るようになるまで、母親はずっと自分に寄り添い、生きる手助けをしてくれていた。
誕生した時は、おそらく夫と共に祝福をくれ、そして僕たちに寄り添い、生きる手助けをしてくれて来ました。
その人が年老い、少しづつ自力で出来ることが減って来る。
ちょうど、また赤ちゃんに戻っていくように。
それこそが、老いる、というなのでしょう。
ただ、赤ちゃんと決定的に違うのは、そこに輝く未来が待っているわけではなく、終焉が近づいて来ているんだ、ということです。
けれど僕はこう思っています。
非力な、自分の力だけでは生きてゆけない時に、僕たちは母親に「生きる力」を借りている。
だからこそ、それは少しでも生きているうちに返さなきゃいけない。
愛情を持って返さなきゃいけない。
できうる限り寄り添って、返さなきゃいけない。
彼女たちが愛情を持ってそうしてくれたように。
まだそれが出来る僕は、或いは幸せなのかもしれない。
もう僕くらいの年齢になれば、両親ともに亡くなっている人もたくさんいます。
寄り添う親がいない人もたくさんいます。
そういう風に思い、日々老いてゆく母を見つめている。
僕たちが誕生した時、世界でいちばんの祝福をくれたのは、間違いなく彼女たちです。
風景 松田正弘
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ありがとうございます
いいお話ありがとうございます。
色々あった親ですが、私が誕生した時
いちばん祝福してくれたことは、間違いないです。
自分は生まれた時祝福されたんだ、と思うと
自分は生きてていいんだ、と嬉しくなりました。
母は亡くなりましたが、父に愛情を持って
小さい時借りた「生きる力」を返して行きたいと思います。
色々あった親ですが、私が誕生した時
いちばん祝福してくれたことは、間違いないです。
自分は生まれた時祝福されたんだ、と思うと
自分は生きてていいんだ、と嬉しくなりました。
母は亡くなりましたが、父に愛情を持って
小さい時借りた「生きる力」を返して行きたいと思います。
- 四つ葉
- 2011/11/16(Wed)01:46:06
- 編集
Re:ありがとうございます
ありがとう。
とてもとてもうれしいコメントです。
とてもとてもうれしいコメントです。
- 2011/11/16 02:06
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